俺は一度だけ寺子屋から逃げ出したことがある。
でも幼い身体でさほど遠くまで行けるわけもなく、
少し行った所にある、木々が生い茂る誰も参拝に行かないようなボロボロの神社に隠れていた。
隠れて座っている時、始めはどきどきと心臓が跳ねた。
しかし、徐々に時間が経つにつれ慣れがでてきたのか、心臓は落ちついてきた。
そうすると、辺りの静けさが少し怖くなり、身体を小さく丸めて座わる。
「(どこに行っても、)」
「(居場所なんて、)」
辺りの静けさがより一層、孤独を際立たせる。
「しん介、」
遠い所で、声がした。
この、柔らかい声を知っていた。
「しん介、」
いつもより少し焦ったような声で、
それでも柔らかい、優しい声で何度も何度も自分の名前が呼ばれた。
その声を聞きながら俺は、少しだけ泣いた。
「やっと見つけましたよ」
少し息を切らして、
まるでかくれんぼをしていたかのように嬉しそうな声を出して、
先生は俺の前に姿を現した。
それを見て俺は、すごく嬉しくて大泣きしてしまった。
迎えにきたのは先生だけだった。
周りには銀時も桂もいない。
それがまた、たまらなく嬉しいかった。
「おんぶはいいです」
「なぜ?」
「自分で歩けますから」
「じゃあ手をつないで帰りましょう」
先生の手は大きくて皮があつくて、外見とは反対の印象だったけれど
それがまた安心できて尊敬できる手だった。
「先生、」
「なんです?」
「人に探してもらえるっていいですね」
そう言ってから、しまった と思った。
これでは迷惑をかけたのに、まるで反省をしていないようではないか。
先生の顔を見ることができなくて下を向いた。
繋いでいる手が少し汗ばんだ。
「いいものでしょう。探してもらえるというのは」
先生はいつもの柔らかい声でそう言った。
「いなくなったら、また私が探しますよ」
その日、俺の涙腺は相当ゆるかった。
じわりと出て来る涙をぬぐいながら、
ごめんなさい、
と俺は言った。
かっこわるい声だった。
追憶
( 遠 く 昔 の 大 切 な 記 憶 )