蒸し暑くて、もうすぐ秋だというのに夏が最後の力を振り絞っているようにジメジメしてた。
そんな日に永倉は初めて人を斬った。








夜、永倉はなかなか寝付けなかった。
まだ手には感触がべったり残っている。

人を斬る時に、思った以上に力がいる事や、斬ったと同時に感じた人の体温と温かい血。

そして、冷えていく速さ。

土方は、永倉に、よくやった。とだけ言って肩を軽く叩いた。






こわい





そんな感情は斬る時になかった。斬る前にもなかった。
ただその時は、絶対に殺らなければいけない、とだけ思っていた。
失敗するな、失敗するな、と自分に言い聞きかせるだけだった。



だが、



今、永倉はどうしようもなく怖かった。
斬って良かったんだ、と繰り返し自分に唱えても、この恐怖感は収まらない。
その恐怖と同時に、俺は弱い、と自覚した。
剣の腕がいくら良くできたって、芯がもろければ剣の腕などあってないようなモノだった。
永倉は、あの時一緒に行動していた沖田を思い出す。

人をつぎつぎにすばやく仕留めていく彼女、

永倉は自分も沖田のようになれたら、と思った。















「永倉。隈、出てますよ」
「あぁ、・・・」

翌朝、朝食の席で真っ先に指摘されると永倉は気まずそうに笑った。

「寝れなかったんですね」

朝食のたくあんを箸で突きながら沖田は言った。

「はぁ、・・・まぁそんなとこです」

沖田は、ふぅーんとだけ言って何も聞いてこなかった。
あの、と永倉が口を開く。



「沖田さんも、初めて人を斬った時は寝れなかったりしました?」



沖田は先程突いていた、たくあんを口に放り込み、永倉の顔見て言った。


「全っ然ない」


ですよねー…と永倉は落胆した声をあげた。
沖田は今度はきゅうりの漬け物を箸で突きながら、





「でも、昨日の夜感じた事は忘れない方がいいんじゃねぇーんですか?」



と、言った。














夜、仕事が一段落し、永倉は自室の畳に寝転がった。
なかなか寝付けなかったせいか、やけに疲れていた。

「よう、お疲れだな」


永倉はその声を聞くなり飛び起きた。

「あー・・・なんか悪いな」
「あ、いえ・・・」


来たのは土方だった。相変わらずの咥え煙草のスタイルで部屋に入って来た。

「沖田から聞いたよ」
「はぁ・・・」

夜、寝れなかった事だろうか、そんな事をわざわざ副長に言わなくてもいいのに、と永倉は思う。

「嬉しそうに言ってたぜ。まぁ、そう感じたのは俺と近藤さんだけだったけどな」

土方は永倉の前に座る。

「・・・沖田さんに人を斬った時の事を忘れるなって言われました」

土方は、へぇー とだけ言うと携帯用灰皿を胸ポケットから出して煙草をぐしゃと潰す。

「ま、あいつはお前とはちょっと違うからな」

「・・・みたいですね。朝、聞きました。全然平気だったって」

永倉は土方の吸っていた煙草の変わりはてた姿を見ながら言った。
小さく弱々しく灯っていた火がついに観念したかのように静かに消えた。
永倉は下を向いた。

「沖田さんは、もとから強いですもんね」
「・・・そうだな」

土方は静かにそう言うと開いたままの部屋の襖から見える、真っ暗な景色を見た。

「永倉、お前は沖田みたいにはなれねぇな」

土方は独り言のように言った。

「沖田の強さは特別で、誰もあいつみたいにはなれねぇ」

土方は相変わらず外を見ながら言った。永倉は顔をあげた。
土方はそれに気付いて、永倉の方を見た。

「人を斬った時の感じ方はそれぞれだが、大きく分ければ二つだな」
「・・・平気な奴とびびっちまう奴でしょう」

永倉は目線を畳に落とした。

「みんな、平気そうにバッタバッタと斬っちゃいるが、ほとんどの奴らは後者だよ」
「でも、本当にみんな平気そうです。僕なんて一人斬った時点でもう何も考えられなくなって・・・」


初めてだからな、と土方は言って、また煙草を取り出した。


「・・・沖田さんは、忘れるなって言ってました。でも僕、思うんです。また人を斬る時にそれを覚えていたら自分は何もできなくなるんじゃないかと、」

自分がすごく情けない事を言っているのは分かっていた。飽きれられる事も覚悟の上だった。
それでも土方には本当の事を言った。



「でも斬るんだよ」


土方は穏やかに言うと煙草に火をつけた。

「感じた事を思い出して、体がこわばるのを感じても、そんでも斬るんだよ」
「・・・そんなこと、敵にやられますよ。そんな風に恐怖感を持ったままじゃ」

永倉は膝にある手を強く握りしめた。
手には汗をかいていた。

「やられる前に自分が斬っちまうだけじゃねぇか」


土方はさきほどの口調と変わって、淡々とその言葉を口にした。

その言葉は永倉の頭の中にすっと入り、昨日の自分を思いださせた。




「そんな簡単に言わないでくださいっ!」


永倉は声を張り上げた。
思わずでてしまったのではない、土方の言う事に腹を立てたのだ。
土方は永倉をじっと見た。永倉は下を向いたまま肩を震えるわせていた。


永倉の心臓は熱くなり、いつもより速く鼓動を鳴らしていた。
目は大きく開いていた。
あの時の感覚だった。

「永倉、」


土方は永倉を呼んだ。
久しぶりに聞く声色だった。いつもより少し低くて、どこか厳しい。



「それでも斬れ」






手が震えても、



思うように体が動かくても、




それでも斬るんだ。


土方はそう言うと、目を少しを伏せて、白い息をはいた。
煙草からでる細い煙りは夜の空の方に向かっていった。

「それに、お前は忘れる事なんてできねぇだろ」
「・・・・・・・・。」

永倉は何も言わなかった。自分の事は自分がよくわかっていた。
そんな大層な事ができる程、自分は強くなかった。




「人を斬る恐怖を忘れんな。戦いにでる時、常に覚悟と恐れを持っていけ」




永倉にとって恐れを失うな、なんて不思議な事だった。
鬼の副長からそんな言葉が出て来るとは思わなかった。
でもそう言った、土方の顔は真剣で、声は厳しかった。


土方は立ち上がると、その時の顔はもう、いつもの顔だった。

「ま、そんな風に経験積んでいきゃあ、知らない間に強くなってんだろ」

土方はその後、大きなあくびをして、今何時だ?と眠そうに目をこすった。
永倉は顔をあげて、土方を見た。

この人も自分と同じように怖くなったんだろうか、

想像がつかなかったし、この人にはそんな事似合ないと永倉は思った。



「・・・もう、眠いんですか?」
「おう、」
「よく言いますよ。毎晩毎晩夜中遊びに出ているくせに」

あぁ、知ってたのか?と土方は言った。

「じゃあ、あいつには黙っとけ。年頃の娘はそういうこと気にするらしいぞ」

あいつ、とは沖田さんの事だろう、と思った。
別に今更なんですか、と言うと土方は、うるせぇと言った。


やっぱりこの人にはそんな事なかったんだろうな、

と永倉は思う。


「だって、似てるんです」
「あ?」





土方さんと、沖田さんが・・・とは言わなかった。




そんな大それた事を言うほど自分は強くなかった。

























しの手のひらに
















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