故にあなたを捨てられない




カコン、と竹筒が石にあたる音が静寂な庭に響いた。
獅子おどしから出て来る水は勢いよく流れている。
通された部屋はすさまじく広く、先程聞いた話ではこの部屋にほんど一人きりでいるという姫。この広さを娘一人にはもったいというか無駄だろうと思った。
姫は俺を見ると目を丸くしておられた。
それはそうだろう。来ると思っていた黒髪の男が急に銀髪の男に変わったのだから。
「今日はいつもの土方は多忙なので今回は私が参りました。」
「…あのあなたも真選組の偉い方ですか?」
「はい、副長を」
「土方様と一緒…二人おられたのですね」
「はい、」
柄にもなく愛想よく笑う。今の俺の顔をあのマダ男な局長やサド女が見たら笑ったことだろう。
「これ、私が来る際に土方から預かったものです」
そう言って紙袋から可愛いらしい派手な柄や足をひざ上まで見せた格好の若い女性が表紙の雑誌をニ冊取り出した。
姫は、ぱっと戸惑いの顔から生き生きとした顔になられた。
「有難うございます!」
「いえ、」
「うわぁ…可愛い」
一枚一枚丁寧に薄いページをめくられては、感嘆の声を漏らされた。
何だかおかしな光景だった。その紙面の女性達よりもずっと高価な着物をおめしになられている姫が顔を輝かせて羨ましいがっている。
「(変わっている)」
そう思った直後。
「土方さん」
「はい、」
「…私が、このような雑誌を見るの、意外だと思われているでしょう」
しまった、と思ったが時すでに遅し。
姫は雑誌の表紙を優しく、手の平で触れられた。
「わかってるんです。こうゆう格好、私は一生できないこと。だから見るだけで満足なんです。」
にこりと笑った姫のその顔が妙に大人びて見えた。
「土方様、わたしね毎日毎日着るものも決められてるんです。だから当然この中の人達みたいにお化粧とか髪を染めたりとか当然そんなことは決められていないんですよね。決められてないことをしてはいけない。 そうした経緯で今の私ができてしまったのです」
まるで今の自分を否定するような物言いだった。
姫はただうつろな顔をなされて一点をじっと見つめていた。
「いいではないですか、決められた道があるのは。」
「…そうでしょうか。私はそうは思えません」
「貴女に決められた道はどれも貴女に適した道だ。今日おめしになる着物も貴女がよりお綺麗になれるかを考えて決められている。多数の習い事も全て貴女が素晴らしい女性になる為の一つ。全てがプラスになる道が用意されていて他にどんな道が必要ですか」
「…あなたは土方さんとは又違ったことを言いますね」
「別人ですから」
小さく笑っていうとで言うと彼女はそうでした、と悲しそうに微笑んでいた。
「でも、今の私は表面にはおしとやかとか琴が上手いとかたくさんの良い賞がはられてういますが内心ちっとも満たされておりません…」
土方さん私ね、と姫は声を少し抑えぎみに話した。
「恋をしたいんです」
「………」
「たった一度でいいから自分で好きになった人と外に出てみたいんです」
控えめな声で発せられた幼い少女の秘め事。
それは、一国の姫であるのを一瞬忘れさせた。
「好いた方と夫婦になりたいとは思いません。ただ一度、ほんとうに一度だけでいいから内緒でどこかに行きたいんです…」


なぜそれを俺に?と思ったがすぐに気付いた。
自分は黒髪の男の代理であることに。


「それは、……貴女の我が儘でしょう」
もしこの場に貴女の望んでいた男がいたならば幼い貴女はもっと傷つかれただろう。
姫の黒真珠のような目が私を映した。

「…我が儘、でしょうか」
「ええ、我が儘ですよ」
声音は変えない。純粋無垢なお姫様を説教する程真面目じゃないし、度胸もない。
姫は目を俺から背けて体を横え向けられた。

「もう一人の土方なら」
俺の一言に姫の頬がみるみる紅潮した。
「私、そんなこと言ってません!」
「冗談です。そんなに怒らないで下さい」
「……貴方、キライです」
頬を膨らせ、そう悪態をつく姫は可愛いらしかった。


獅子おどしがまた弾みのある音をたて小さい水の流れる音が静寂を優しく包んだ。

「―…そよ様、先のことを考えたことはありますか?」
「え、?」
「貴女の願い、好いた方と一度だけお出かけなさる話です」
「あぁ…」
「もしそんなことをしてしまったら貴女はきっとその方を忘れられなくなる」
「…そんなこと、」
「二度合うことはできない相手のことを。」
「あの、」
「はい」
「何故そう断言なさるのですか?」

視線を、まっすぐすぎる視線を感じた。

「二度会えない人間を想い続ける程苦しいことはありませんよ」

姫は俯き、表情は戸惑っておられた。
それでも、
姫は小さいさな声で言った。

「それでも…私は土方様を想い続けたい」
涙を堪えて出たその言葉と、俺が先程答えなかった問いの答えが、今空間に流れる小さなせせらぎに静かに優しく飲み込まれた。







inserted by FC2 system